Dec 25, 2010
"海外旅行保険に加入していれば良かった。"
海外旅行に行く時に海外旅行保険に加入するか、悩むことが多いが、長期の旅行ではなかったので、海外旅行保険に加入することなく、サイパン旅行に行きました。私の母がサイパンに海外旅行に行って買い物をしようとお店に向かったところ、後ろから車がゆっくりと近づく母のショルダーバッグを盗もうと車から身を乗り出してバックを取ろうとしたが、母の腕に再び紐がかかってしまい、母は車にひかれてけがをしてしまいました。海外旅行保険に加入しておけば良かったと思いました。ビジネスで出張が多い方でも会員制リゾートサービスが効率的だということ、ご存知ですか。リゾートという名前がついているだけで、ビジネスに適合しないと受け傾向にあると思うのですが、実際の利用法により、会員制リゾートは、出張の際に非常に役立つことができるでしょう。ビジネス利用にも活用して、目的の広告を掲げるサービスの会社を最初に確認するとわかりやすいものです。
28日投開票の仙台市議選(定数55)は、前回07年選挙で公認9人が当選した民主が7人にとどまり、自民・みんな両党が躍進した。党派別得票率や得票数を分析すると、自民・みんなが、民主と無所属の支持層の一部を取り込んだ様子がうかがえる。【平元英治】
民主の得票率は前回では17・0%だったが、今回は14・9%となり2・1ポイント減った。07年では宮城野・若林・太白3区で公認候補がトップ当選したが、今回は皆無で、党勢の差が浮き彫りになった。計9人を立てた青葉・宮城野・太白3区では計5人が落選した。
当選者数が前回の10人から12人に増えた自民は、得票率も前回より6・5ポイント高い22・3%に達した。宮城野区以外の4区ではいずれも公認候補が1位で当選した。
結党後、初挑戦となったみんなの得票率は7・3%で、候補者6人中4人が議席を得た。泉区では元職が返り咲き、太白区では新人が民主現職を280票差でかわして最下位当選した。
無所属全体の得票率は前回比12・5ポイント減の23・6%。当選者数も前回より9人少ない12人だった。民主とともに減らした議席を自民・みんなに譲った格好になった。
公明の得票率は前回比0・4ポイント増え、当選者数も前回と同じ8人。共産も0・7ポイント増えたが、当選者数は前回より1人多い7人になった。前回は候補2人が共倒れした泉区で1人に絞ったのが奏功したとみられる。
社民は0・3ポイントの微減で、議席も1人減の5人だった。宮城野区では現職が前回獲得票の4分の3強しか取れず、涙をのんだ。
8月30日朝刊
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山元町は28日、最終回となる「震災復興有識者会議」を町中央公民館で開いた。4日に決定した震災復興基本方針素案に基づき、土地利用構想などについて協議。町側は最大の焦点となっている津波被害を受けたJR常磐線の移設問題について、現ルートから西に約1・5キロの内陸部に移す案を提示し、有識者からは「おおむね妥当」と評価された。町は9月2日から各地で住民説明会を開き、具体化を進める方針。
会議は町民ら約200人が議論の行方を見守った。
会議では、新ルートの常磐線は、内陸部の国道6号沿いと示されたほか、新山下、新坂元両駅を中心とした市街地づくり案も提示された。津波被害を受けた県道相馬亘理線についても内陸部に移設し、盛り土した多重防御型道路とする。さらに、沿岸部住民の集団移転を促進するため、建築基準法に基づき、住宅新増改築などを制限する「災害危険区域」の適用イメージ案も提示された。【豊田英夫】
8月30日朝刊
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◇避難者、帰宅や他の施設に移動
「避難者がどういう状況なのか個別具体的に確認してください」
避難者の数が減っていく中で、東六番丁小学校に仙台市からそんな趣旨の文書が送られてきた。学校再開に向け避難所をどう閉鎖するかが課題だった時期。東六小では既に、地区災害対策本部を中心に詳細な聞き取り調査を始めていた。
3月22日には避難所閉鎖を前提に四つの選択肢を挙げて質問している。(1)即日または翌日帰宅できる(2)家が片づけられれば帰宅できる(3)健康、経済上の問題で支援が必要(4)帰宅困難。
避難所に残っていた45人のうち(1)は28人、(2)と(3)が6人、(4)が4人いた(1人は不明)。これをもとに、(2)の人の家にボランティアを派遣して片づけをするなど帰宅条件を整え、市に対しては別の避難所への集約を打診した。
そして地区災害対策本部は次のことを確認する。「体育館は25日をもって閉鎖する。残った避難者は体育館近くの図工室に移動してもらい、自立に向け非常食を調理しながら生活してもらう」
こうして体育館は学校と子供たちに戻された。最後まで残った避難者4人も4月1日、市の施設に移動した。一時は1800人が押し寄せ、少ない米を小さな握り飯にして分かちあった東六番丁小学校避難所はこの日をもって閉鎖されたのだった。(つづく)
8月30日朝刊
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