Oct 17, 2009
"教習所の驚きの光景"
自動車免許を取得する際、"教習所"で得ると思いますが、それからいくつかの光景を見ました。内周を走っているだけで、よく回る人、S字カーブにかかってしまう人、クランクを通過できなかった人もいたし、坂道発進で降りてくる人もいました。このような人々は一般的に走れるようになるから、"教習所"はすごいです。皆さんは、運転免許証は、どのような方法で取得するか?社会人の方や決まった時間が取れない方は通常の教習所に通うか?と思いますが、私は学生時代の合宿免許免許を取りました。これは、地方に2週間ほど滞在して免許取得をするが、教習所と配車予約はなかなか取れないし、勉強する時間がないこともありますが、合宿免許だと、しっかりと毎日の運転の知識や練習に集中して、友達もできるので、非常にお勧めですよ。
3月11日に発生した、東北関東大震災から2週間。地震だけではなく、それによって引き起こされた津波のために死者・行方不明者は2万人以上、原子力発電所の事故の影響で経済活動も停滞しつつある。一部のテレビ広告などがいまだ自粛を続ける中、「娯楽は控えよう」という雰囲気も漂っている。
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しかしそんな中、「映画を提供することこそが自らのやるべきこと」とあえて宣言したアニメ制作会社がある。それは日本にとどまらず、世界のアニメ業界をリードしているスタジオジブリだ。7月16日公開の最新作『コクリコ坂から』の主題歌『さよならの夏』の発表の席で、宮崎駿氏や鈴木敏夫プロデューサーらが震災などについて語った内容を詳しくご紹介する。【堀内彰宏,Business Media 誠】
●映画『コクリコ坂から』
原作は作画・高橋千鶴氏、原作・佐山哲郎氏の少女漫画(少女漫画誌『なかよし』に1980年1〜8月号まで連載)。東京オリンピックの前年である1963年の横浜を舞台に、帰らぬ船乗りの父を待つ少女と、少年との交流を描く。監督は『ゲド戦記』の宮崎吾朗氏、企画・脚本は宮崎駿氏。テーマソングの『さよならの夏』(万里村ゆき子作詞、坂田晃一作曲、武部聡志編曲)を手嶌葵氏が歌う。7月16日公開。
●私たちはアニメーションを作っていくという自覚を持っている
宮崎駿(企画・脚本) 「この時期にこういう発表会をやるのがいいのかどうか」という問題があったのですが、「あえてやろう」と思いました。今この時も埋葬されないまま、瓦礫に埋もれているたくさんの人たちを抱えている国で、しかも今、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある国で、私たちはアニメーションを作っていくという自覚を持っています。
それで、停電になっても自分たちはとにかく仕事を続けよう。なぜなら、郵便配達の人は郵便を配っているし、どんなに渋滞が起こっても、バスの運転手はバスを放棄しないで乗っているので、我々も仕事を続けようとなりました。ただ、コンピュータ関係(のセクション)は停電時には混乱が起こるので、いろいろ考えて夜勤体制にしましたが、絵を描く方は停電になっても窓際で書けるので、鉛筆と筆のセクションは、とにかくそのまま仕事を続けるという体制でやってきました。
今、この歴史的な事件をはさんで、「自分たちの作ろうとしている映画が、時代の変化に耐えられるかどうか」というのが僕らの最大の関心でした。僕はこの映画の企画と脚本しかやっていないので、映画の出来上がりについてはよく分かりません。分かりませんが、「今、この企画を自分たちが作っていたのは間違いではなかった」と思っています。
映画の企画について、簡単に説明します。これは30年前、僕がたまたま1人で山小屋にいる時に出会った、その時はまだ小学生だった姪たちが残していった少女マンガから思いついた企画なのですが、それからもう30年経っています。それで、「少女マンガがアニメーション映画になるかどうか」ということを友人たちと議論をしました。「『コクリコ坂から』という作品を映画にしたい」と思って、いろいろ考えました。
考えましたが、『コクリコ坂から』の中に学園紛争というものがあります。ただ、学園紛争が30年前にはもはや古めかしいものと映る時代になっていたので、企画としては断念しました。断念しましたが、その後もずっと僕の心の中に引っかかっていました。ただ、折に触れていろいろ考えていたのですが、ある時たまたま森山良子さんのCDの中に入っていた『さよならの夏』という歌を聴きました。随分前の日本テレビのドラマの主題歌だったそうなのですが、「ああ、(『コクリコ坂から』の)主題歌までできてしまった」と思ったんです。
この2〜3年、企画をやらなければならなくなったのですが、「今まで自分たちが作ってきたファンタジーを作る時期ではない」と考えました。「では、何を作るか」ということを模索してきて、その模索の1つが実は40年以上前に読んで引っかかっていた『借りぐらしのアリエッティ』となったのですが、今回も30年前から暖めてきた『コクリコ坂から』を映画にすることにしました。
『コクリコ坂から』は原作と違って、僕がアニメーターになった1963年、東京オリンピックの前の年を舞台にしています。そのころ若者たちは、自分がエアコンのある家に暮らしたり、エアコンのある職場で働いたり、自動車を持つようになったりするとは夢にも思っていなかった。そういうことを願っていた人はいますが、「小さいけど4畳半の下宿でいいんだ」と思っていました。僕も無理すれば何とか買えたかもしれないですが、ラジオもテレビもない下宿にいた記憶があります。
その時に自分たちが「どう生きようと夢見ていたか」ということと、「どういう風に生きられたか」ということはまた別のことです。『コクリコ坂から』は「どういう風に生きようと願っていたのか」ということを形にしました。(信号)旗を毎朝あげている少女と、海からやってくる少年の出会いという話なのですが、私のシナリオが遅れてしまったために、製作は非常にしんどいことになっています。(実際より)2カ月早く僕のシナリオが終わるはずだったのですが、これがなかなか難産で、スタッフ全員に迷惑をかけてしまいました。今、制作している最中ですが、僕らは今の時代に応えるために精一杯作ろうと思ってやってきました。
(主題歌の)『さよならの夏』は森山良子さんがもう少し若ければ、森山良子さんに歌ってもらいたいと思っていたのですが、若い人に歌ってもらわないとならないということで、新しい歌い手の人に歌ってもらうことになりました。坂田晃一先生(『さよならの夏』の作曲家)を始め、作詞をした方(万里村ゆき子氏)も、みなさんがこの歌をもう1回、全然中身の違う映画に使うことを許していただいて、本当にありがたく思っています。
●『さよならの夏』は鎮魂歌のように思えた
万里村ゆき子(主題歌作詞) お話をいただいた時に宮崎駿さんの脚本も一緒にいただいたのですが、びっくりしました。というのも、私は東京育ちなのですが、(物語の舞台となる)横浜がとても好きでした。少女時代から山下公園で外国から来た船を見るのが好きで、大桟橋へは日曜日にはしょっちゅう見に行っていました。自分では“昔の横浜少女”と言っていたのですが、それから何十年も経って、スタジオジブリからいただいたお話が横浜の話だったということで、また少女に戻ったみたいでとてもうれしくて、何かワクワクしています。
あの時は本当に幸せで、私の生きている時にこんな大震災が起こるなんてことは夢にも思っていませんでした。年をとってからそういうことにあうということはとても悲しいことですが、「私が若い時にこの震災にあっていたら多分この歌は書けなかっただろう」と考えました。先ほど予告編を見せてもらったのですが、胸がいっぱいになりました。この歌が震災を受けられた方やみなさんにどう伝わるか分からないのですが、とても穏やかな歌なので聞いてもらえれば幸せです。
作曲の坂田晃一さんとはテレビドラマの主題歌などで、何度もご一緒させていただいています。いつもそうなのですが、先に坂田さんのメロディがあって、後から私の詩を入れさせていただいています。坂田さんのメロディは2〜3回聞いたり、譜面で読んだりすると、すぐに絵が浮かんでくるんです。私の中で浮かんできた絵のイメージを字に変えていくだけの作業なので、先ほど鈴木さんに「苦労した方がいいよ」と言われたのですが、苦労しないで書かせていただきました(笑)。
坂田晃一(主題歌作曲) 計算すると34年前かと思いますが、そういった時代に作った歌をスタジオジブリの映画、それも非常に注目される作品の主題歌として取り上げてもらったことは本当に光栄で、とてもうれしく思っています。感謝もしています。
『さよならの夏』は音楽的には少しの切なさと少しのうれしさの間を行き交うようなメロディです。メロディのイメージをさらに膨らましていただける万里村さんのすばらしい詞が付いていますし、また、今回新たに書いていただいたワンコーラスの詞もすばらしいです。『さよならの夏』が『コクリコ坂から』の主題歌としてきちんと役割を果たせるように、ということを作った人間として切に願っています。
万里村さんはどうか分からないのですが、歌というのは世に出てしまうと、例えがあまり良くないかもしれないですが、「独立した子どもがほぼ音信不通になってしまった」というような、自分の曲でありながら、自分の曲ではないという感じがしますし、この曲は特にそうでした。しかし、今回このように取り上げていただいて、まず「また自分の手元に戻ってきた」という感じがしました。
そしてこれから、かつてとは違う手嶌葵さんのすばらしい歌声と、武部聡志さんの卓越した編曲によって、また違う装いを持って、みなさんに聞いていただけるということは、またとてもうれしいことです。先ほどからお話が出てきていますが、大震災の後の大変な時期ではありますが、「こういった時代でも、この歌は曲も詩もみなさんに何とか受け入れていただける歌である」と私は考えています。ですので、主題歌として良い結果が得られればと思っています。
武部聡志(主題歌編曲・音楽担当) 私はずっとポップス畑と言いますか、歌ものと言われる音楽の畑を歩いてきたので、映画の音楽は少なくて、アニメ映画に関しては今回が初めてです。その初めての作品が憧れのジブリ作品であることを本当に光栄に思っています。
東京オリンピックの年、僕は小学生だったのですがよく覚えています。そのころ物は本当になかったかもしれませんが、やはり子供心に夢を持っていました。「その夢が今の日本を作ってきたんだ」と思っています。僕らは音楽を通じて、また新たにそういう夢を伝えたいと思います。
34年前の曲なのですが、今聞いても色あせない。この間、手嶌さんとレコーディングした時、曲も歌もキラキラ輝いていたんですね。「やはり良い曲、すばらしい曲というのは、そうやって歌い継がれていくべきものなんだな」と痛感しました。今、こういう時期ですが、映画の力や音楽の力で少しでもみなさんの力になりたい。優しい気持ちにみなさんがなってくれることを願っています。
宮崎吾郎(監督) 今、自分たちがこうして映画を作っていられるのは、やはり自分たちが支えられているからだと、震災から約2週間が過ぎて思っています。
ちょうど震災の前日が、『さよならの夏』のレコーディングの日でした。その日聞きながら、「『さよならの夏』は単に若い女性が好きな男性のことを思っている歌ではなくて、もう少し広い意味を持っているのではないかな」と感じていました。それはどういうことかと言うと、その時、鎮魂歌のように僕には思えたんですね。
その直後に大震災があって、偶然としか言いようがないのですが、この歌の持っている力というか、意味というのが僕にはものすごく重たく感じられました。今、僕たちが作っている映画が僕たちを支えてくれているように、この歌が震災で傷ついた人たちの支えになってくれればと思っています。
手嶌葵(主題歌アーティスト) (『ゲド戦記』の『テルーの唄』に続いて)また主題歌を歌わせていただけて、本当にうれしく思っています。私にとってすてきなことが2回あるというのは、本当に幸せなことだなと思っています。今回、被災にあわれた方々にどう言葉をかけたらいいのかまだ自分でもよく分かってはいないのですが、一緒に手を握り合って前に進んでいけたらと思います。
●『コクリコ坂から』の次作品の準備にも入っている
今回の会見の趣旨は、主題歌の発表にあった。しかし、会見後の質疑応答では、震災後まだ間もないとあって、震災がジブリの作品作りに与えた影響についての質問も多く投げかけられた。
――主題歌に込めた思いを聞かせてください。
宮崎駿 あまりそういう理屈をしゃべっても仕方がないと思っています。『さよならの夏』という曲は人を恋うる歌です。人を恋する歌と言った方がいいかもしれません。「繰り返し、繰り返し、人は人を愛し続けていく」という繰り返しの歌だと僕は思っています。「その初々しい気持ちというのはとても大切なんだ」と僕は『さよならの夏』から感じて、好きになりました。
少年がいて、少女がいて、そこに恋があろうが、恋がなかろうが、とにかく前を進もうと(いう意味を込めている)。上を向いて進むとけつまずきそうなので、僕は前を向いて進んでほしいのですが、同じような意味を多分、(鈴木敏夫)プロデューサーも考えているんだと思います。そういう意味でこの歌が大好きなので、それをどうして好きなのかというのを説明する必要はあまりないと思います。聴いていただければ分かると思います。
宮崎吾郎 『コクリコ坂から』がシナリオになる前、作品の構想案を聞かされ、主題歌には『さよならの夏』がいいと聞かされました。その時、僕は自分がよく分かっていなかったせいだと思いますが、「30数年前の曲を今、引っ張り出して、そこに何の意味があるんだろう」と思いました。
ただ、やっぱりそれを繰り返し聞き、手嶌さんの歌声で聞いたことによって、何と言うんでしょうね。「人を思う気持ちということに今も昔もないんだ」と思うようになりました。人を恋うる気持ちや大事な人を思う気持ち、それが歌われている歌である以上、そこに古さや新しさは関係ない。それは、手嶌さんの歌声を聞いていただければ、十分分かることだと思います。ですから今は「これ以上この作品にふさわしい曲はない」と思っています。
――「シナリオが遅れた」とおっしゃっていましたが、それは震災のことを盛り込むために遅れたのですか?
宮崎駿 震災と『コクリコ坂から』の内容はまったく関係ありません。2011年になってバタバタとか、2週間前の震災で内容を変更させたとかは一切ありません。(遅れていたのは2010年の話で)本当は2010年1月くらいにシナリオがあがって、監督に渡して、さまざまな準備や絵コンテ作業に入って、『借りぐらしのアリエッティ』が終わった時にすぐ作画に入れるようにするというのが、私が当初立てていたプランでしたが、自分のせいでずるずる遅れました。
――「上を向いて歩こう」というキャッチコピーに込めた思いは。
宮崎駿 「上を向いて歩こう」はその世代(坂本九氏が活躍していた時代を知っている世代)の鈴木プロデューサーが考えたことです。僕はあまり好きではないのですが。
宮崎吾郎 キャッチコピーを考えたのは2010年12月です。ですから、こんなことがあるとはまったく予期していませんでした。『コクリコ坂から』の中には、坂本九さんの歌が出てきます。当初は『見上げてごらん夜の星を』だったのですが、鈴木プロデューサーの「ヒットしたのは『上を向いて歩こう』だと」いう言葉と、僕が『上を向いて歩こう』が好きだからこれを使おうという意見があって、12月に(キャッチコピーを)「上を向いて歩こう」にしようという話が出ました。
――「今、この歴史的な事件をはさんで、『自分たちの作ろうとしている映画が、時代の変化に耐えられるかどうか』というのが僕らの最大の関心」だったが、「今、この企画を自分たちが作っていたのは間違いではなかった」とおっしゃたのですが、間違っていなかったというのはどういうことなのでしょうか?
宮崎駿 「流行っているものをやらない」というのがジブリの誇りでした。それで、「自分たちの生活そのものもよどんできて、不安だけが通奏低音となる時代に、いったい何を作るのか」ということが自分たちは問われているんだと思います。そういう意味で、ヒロインの海という少女の願いや、少年の雄々しく生きようという気持ちはこれからの時代にも絶対に必要なものだと思います。
残念なことに私たちの文明はこの試練に耐えられない。だから、「これからはどういう形の文明を作っていくかということの模索を始めなければならない」と思います。「誰のせいだ」とか、「あいつのせいだ」とか言うことの前に、敬虔な気持ちでその事態に向き合わないといけないと思います。
先ほども申しましたように、今、何十万人の人間が寒さに震え、餓えに震えています。それから放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊や職員のことを思うと、その犠牲に対して感謝と……そうですね、誇らしく思います。まあ、文明論を軽々しく語る時ではありません。「敬虔な、謙虚な気持ちでいなければならない」と思いますが、この映画がこの時代に、多くの人たちの何かの支えになってくれたらうれしいなと思います。
――今回の震災という大きな出来事は今後の作品制作に影響を与えるのでしょうか?
宮崎駿 実は私はもう次の作品の準備に入っていて、まだ発表の段階にはありませんが、「その作品はまったく変更する必要がない」と胸を張ってやれると思っています。まあ、この年ですから思ったように手は動きませんが、その企画を進めていこうと思っています。ただ、物質的な条件やいろいろな条件はこれから変化するでしょうから、前と同じような感じで映画を作り続けることができるかどうかは、まだ私たちは分からないと思いますが、それでもそれに向かって進んでいこうと思っています。
宮崎吾郎 とにかく今やっているものを今作り上げることが目標ですから、その後のことはなかなか考えられませんが、「多分変わることはないんだ」と思いますね。「むしろ確固たるものになった」といいますか。正直に言うと、「自分も1〜2年前はかなり弛緩した状態だったんじゃないかな」と今、思います。ですから、「こういう時代だからこそ、何かを作り上げないといけない」という気持ちはより強くなった。「将来的に作り続けることができるのであれば、その気持ちを持ち続けることはできるだろう」とは今思っています。
――先ほどのお話の中で、「今まで自分たちが作ってきたファンタジーを作る時期ではない」とあったのですが、それはどういった思いからなのでしょうか。
宮崎駿 ファンタジーがあまりにもたくさん作られて、ゲーム化してしまったからですね。ですから、「ゲームの中に我々がまたゲームを作る必要がなかろう」という思いになっていた、ということだと思います。
ゲームというのはさまざまなゲームがあるのでしょうが、文章で書かれたゲームもいっぱいあるわけです。それは『ホビットの冒険』というJ・R・R・トールキンの名作があるのですが、それは至るところから引っ張り出されて、ゲーム化された結果、原作がすっかり食い尽くされてしまいました。でも、面白いことに『西遊記』は食い尽くされているはずなのに、食い尽くされていない力を持っているのが不思議だなと思います。かといって、『西遊記』をやるわけにはいかないので、「何を作ろうか?」ということで、考えてきたわけです。
――ファンタジーがたくさん作られすぎているからというのが理由で、作り手としてファンタジーを作りたくないからというわけではないんですね。
宮崎駿 もちろんそうです。(ファンタジーでない作品では)人間を描かなければいけないのですが、僕らにとってはアニメーションの上で等身大の人間を描くというのは非常に不利な戦場です。でも、それを覚悟しなければいけない時期が今あります。「それをくぐり抜ければ、また次に違う展開があるだろう」と思っていますが、なんせ私自身がこういう年なので、そんな先まで今考えるのは無理なのです。しかし今、私が進めている(次回作の)準備というのは、まさに等身大の人間が出てくる映画です。
●プロメテウスの火をどうやってコントロールできるのか
――宮崎吾郎さんは地震の当日、どこにいらっしゃって、スタッフのみなさんとどんなお話をされたのか。
宮崎吾郎 地震の瞬間は、スタジオの3階で鈴木プロデューサーと宣伝についての会議をしていました。揺れが始まった時は「鈴木さんがまた貧乏ゆすりをしているんだ」と思ったのですが、揺れがおさまらず、「これは大変なことだ」ということになりました。僕が最初にしたことは、すぐ隣に保育園があるのですが、その保育園に預けている自分の子どもを見に行くことでした。その瞬間に思ったのは家族のことです。それはスタッフも同じだったと思います。
その次に「スタッフはどうするか」ということで、その日は三々五々早めに帰るということだったと思います。それ以降は「出社せずに自宅待機した方がいい」という話もあれば、「家にいても不安なだけだから仕事がしたい」と言うスタッフもいました。結果的には、少なくともアニメーターや美術の人間は電気がなくても仕事ができるし、家にいても不安なだけだから、会社に来て仕事をしようとなりました。それは会社で、偉い人から呼びかけたということだけではなくて、そういう気持ちのスタッフが多かったと思いますね。
話が出たのはもちろん「自分たちがどうなるんだろう」ということもありますし、それから被災地にご家族がいるスタッフも何人かいました。それからやはり、「自分たちの作品はこれから夏に向けて作っていけるのか」ということだったと思います。ただ、やはり「僕らが今できるのは、映画を作り続けることだけだろう」ということでは、大きな意味で一致してたのではないかと思います。
――具体的に被災地の方々に向けて、メッセージを発信されたりしていますか。
宮崎駿 もうすでにプロデューサーを通して、具体的にいろいろとできる限りのことはやっています。それから、さまざまな計画もありますが、それは(鈴木)プロデューサーの方から報告する機会があったときにお話しすればいいと思います。一番必要なところに一番必要なものを届けるしかありませんから、今、感傷的にただお金を出せばいいということではないと思っていて、堅実な方法を選ぼうと思っています。もうすでに始めています。
――『崖の上のポニョ』で水没で被災した人たちを、住民たちが大漁旗を掲げて救いに来るシーンがありました。「そういう時でも、みんな明るく元気さを失わずに頑張ってほしい」という希望を込めたかったと以前おっしゃったと思います。こういう状況が生まれて、そういう状況になっているみなさんに、宮崎駿さんはあのシーンを作った1人としてどういうことを思われていますか。
宮崎駿 あの映画の通りだと僕は思っています。私たちの列島は、繰り返し繰り返し地震と火山と台風と津波に襲われてきた島です。それでも実は、この島は、自然の豊かな、恵まれた島だと思います。ですから、「多くの困難や苦しみはあっても、もう一度、人が住む、もっとより美しい島にしていく努力をする甲斐のある時だ」と僕は思っています。
先ほども言いましたが、今、埋葬されていない人たちをいっぱい抱えながら、あまり立派なことを言いたくありませんが、でもその自然現象の中で、この国を作ってきたわけですから、そのこと自体で僕らが絶望したりする必要はない。むしろ、プロメテウスの火※をどうやってコントロールできるのか。
※プロメテウスの火……ギリシャ神話でプロメテウスが天上の火を盗み出して人間に与えた逸話を引用したもの。火を得た人間は便利さを手に入れた一方、自らを焼き尽くしてしまう可能性のある危険なものを得ることにもなった。
その国土の一部を喪失する事態に今なりつつありますが、その事態に対して、どのいう風に自分たちが対応できるか。私はこの年ですから、「一歩も退かない」と決めていますが、若いスタッフからは「私は20代です」と言われました(笑)。まあ、それ(年齢の差)を超えることはできませんが、僕は「ここにいよう」と思っています。
風評被害や乳幼児の水については本当に配慮しなければいけないのに、僕と同じような年の人が水瓶を買いに並ぶなんて、もってのほかだと思います。その人民の愚かさをマスコミは糾弾してほしいと思います。
僕が普段(パンを)買っているパン屋のおやじは、地震の翌日からいつもより早く起きてパンを焼いてくれたので、そのパンを買うことができました。それで、スーパーに行かざるをえない人たちが食パンを買えないという話もあった中、パンを買ってくることができました。棚の中をからっぽにする(まで買い占める)ことはしませんでしたが(笑)。
それからいつも差し入れのために焼きそばや団子を買う店も、そのまま店を続けてくれました。やはり差し入れにお菓子を買うお菓子屋も作り続けてくれました。僕は「だから、僕らも映画を作り続けよう」と思います。今朝会ったパン屋の親父は「まだ元気だ」と言い張っていましたが、そろそろくたびれてきて、パンも売れ行きがだんだん落ち着いてきたので、「毎日差し入れを買うのはしんどいな」と僕も思いつつ、今日もまた買ってきました(笑)。だんだん、平静になっていくでしょう。
今、僕は文明論という感じで高所からいろんなことは語りたくない。その(震災の)死者を悼むところにいようと思います
●上を見れば何かいいことが起こるんじゃないかな
宮崎駿氏らの会見後には、鈴木敏夫プロデューサーが登場。計画停電などによって、スケジュールがかつてないほど遅れている状況について説明した。
――「上を向いて歩こう」というキャッチコピーを鈴木さんが考えられたということですが、その意図を教えてください。
鈴木敏夫 先ほど吾郎君が説明してましたが、時代を表す歌として坂本九さんの『見上げてごらん夜の星を』を最初、彼は考えていたんです。ただ、僕は実は個人的に坂本さんの大ファンだったので、坂本さんといったらやっぱり『上を向いて歩こう』だろうと。
『コクリコ坂から』の中で実はテレビから(歌が)流れてくるのですが、それだけではなくて、そのテレビ(のシーン)が終わった後、本編の方でも流れていくというシーンも考えてやってみたら、それがすごい良かったんです。
その時は「映画の中でだけ使おう」ということだけだったのですが、ポスターを作る段階で、ポスターは宮崎駿が書いてくれたのですが、ちょっと顔を見上げているじゃないですか。それを見ていて、「映画のコピーももしかしたら『上を向いて歩こう』なのかな」と。
これは屁理屈なのですが、『上を向いて歩こう』の歌を知らない人たちに、「上を向いて歩こう」と言うのは今の気分にピッタリなのかなと。どうしてかといったら象徴的に言うと、今、僕なんかもそうですが、携帯ですぐにメールを見たりして、歩きながらみんな下を向いているじゃないですか。そうすると、「下を向いているとろくなことがないし、今、前に進むのもしんどい時代だけど、後ろにも後ずさりしたくない。でも、上を見れば何かいいことが起こるんじゃないかな」と、ただそういうことをふと思ってみたんですよね。
それでみんなに提案したら、みんなが「いい」と言ってくれたので、「じゃあこれでいこう」と、まあそういうわけで非常に個人的な動機から、この「上を向いて歩こう」という(キャッチコピーになりました)。でも、まさか宮崎駿が嫌いだとは知らなかったですね(笑)。ビックリした。だいたい僕の好きなものを、宮崎駿は「嫌いだ」と言うんですね。僕が「好きだ」と言うからいけないんですね。僕が「嫌いだ」と言うと、「好きだ」と言うんですよ。
――『ゲド戦記』の時は主題歌の手嶌葵さんが声の出演もされました。今回もそういう可能性はあるのでしょうか。
鈴木 そんなこと言うと、バレちゃうじゃない(笑)。手嶌さんから立候補がありました。立候補があったので、ある種のゲストキャラというので、彼女にちょっと出てもらおうかなと。どういう役をやるかというのは見てのお楽しみで、結構いい役なんですよ。
――制作費がどのくらいなのかということと、どのくらい興行収入がいけば成功だとお考えになりますか?
鈴木 そういうことを僕は考えないんです。一切考えないんです。問題になっているんですよ、僕は会社の中で。「制作費を少し考えろ」と。
だいたい僕は予算書というものを作ったことがないんですよ。制作会社の方々から、いろいろご批判もいただいているんです。だいたい、ないですよね。僕の頭の中でいろいろやっていて、たまに間違えるのですが。
そういうご質問あったから言いますが、映画はトントンを目指します。かかったお金を何とか回収はしたいですよね。「余分にもうけてもしょうがない」と思っている。要するに「トントンでありさえすれば次の作品が作れる」。これが僕らの大きなテーマです。ジブリはいろんなことやっているように思われるかもしれませんが、僕としては映画を作る(のが目的で)、それを邪魔するものはやらないつもりなんです。もし、お金をもうけたいなら、ほかの商売をやりますよ(笑)。
●計画停電の影響は大きい
――計画停電の影響が出ているという話がありましたが、どのような状況なのでしょうか。
鈴木 今回の地震は被災地の人のことを考えると、(ジブリへの影響は)大したことはないでしょう。ところが、ご承知のように、東京でも計画停電が行われることになりました。
アニメーションの部分、キャラクターを動く絵や背景を描くことは手作業でできます。ところが現在のアニメーション映画では、描いた絵をコンピュータで取り込んで、モニタ上で作業するということがあるわけです。そうすると、どうしてもコンピュータのお世話にならないといけない。つまり電気の問題が出てくるわけです。
これは随分、討議を重ねました。何しろ計画停電は、(基本的に)昼間に起こりますからね。ある日、ちょっと実験してみたら、まず電気を止めるのに1時間かかる、そして復旧するのに2時間かかるんです。そうすると3時間の停電でも都合6時間(のロスが出る)。
しかも、リスクが伴います。どういうことかというと、作った映像をサーバーの中に入れておくわけですが、その電気を消したり、復旧したりする過程で吹っ飛ぶ可能性があるわけです。だから、本当に悩みに悩みました。
僕らが決めたことは、コンピュータのセクションの人は本当に申しわけないのですが、昼間にそういう不安定な状況で仕事をするよりも、夜やってもらおうと。ジブリは通常、10時から働くことになっているのですが、コンピュータ関係の人は20時出社、そしてある時間まで働いていただく、ということを現状やっています。ただまあ、「今のところは」なんですけどね。
理由は分からないですが、今のところ、ジブリでは計画停電が起きていないんです。これからの予定としてもしばらくの間、起きないというので、夜にやっていたやつを、ちょうど今日からなのですが、昼間に戻そうかということをやっている最中です。
全体の進行としては、予告編をいつもだと12月に出すのですが、(今日出したということで)確かに遅れてます。これは先ほど宮崎駿が申していましたが、シナリオが遅れた上に、実は絵コンテの作業もかなり遅れていて、これも何とかしないといけなかったんです。そのしわよせが来ているところに、今の計画停電の問題が起きているので、非常に厳しい局面に立たされています。
先ほど宮崎(駿)が「自分の次回作の問題もある」と言いましたが、あれはまだ準備の段階です。主要なスタッフを分けていたのですが、次の作品に関わろうとしていた人も急遽、今、『コクリコ坂から』の方に投入して、現状やっています。まあ、宮崎(駿の次回作)のは随分先になりますから。そんなに先のことを言ってられないんですよ。
とにかく僕らがこの地震に関して言うと、「映画を公開日にちゃんと公開をする」と。これが多分、僕らができる一番のこと、そんなことをちょっと考えたので、「とにかく映画を公開日(7月16日)に間に合うようにやることが僕らの責務なのかな」と思っています。
――愛知のトヨタ自動車本社内にある西ジブリを活用させる意見はありましたか。
鈴木 あれはもうこちらに全員戻ってきているんですよ。戻ってきて、その人たちももちろん今、仕事をやっています。
――現在の全体の進捗状況はどのくらいですか?
鈴木 これは簡単には言えません。要点だけ申しますと、アニメーション部分の絵は9割方できてきています。これをチェックしないといけないんですけど。背景(美術)も少し遅れています。それでそれをコンピュータで色を塗って、撮影するというものも残っているのですが、全体で言うと5割ですかね。本当はこの段階では70%くらい欲しいのですが、それをどうやって詰めるかです。何とかやります。「お客さんのニーズに応えたい」と思っています。
――地震は制作状況にどのくらい影響を与えたのでしょうか。
鈴木 現実問題として、夜の作業というのはやっぱり、あまり順調にいかないんです。だから、その影響は実は大きいです。大きいですが、「何とか頑張ろう」と。物理的にも人を増やしています。ジブリの1スタジオのバーという、みんながご飯を食べるところにもコンピュータを新たに設置して、挽回すべく現在やっています。
――確認になりますが、作品の内容その他に関して、今回の震災を受けて一部変更が加えられたとかありますか?
鈴木 一切なしです。一切ありません。そんなことできないんですよ。今、そんなことをやっていたら公開できませんから。これは先ほど宮崎が言っていましたが、準備の段階で絵を描き始めたのは2010年1月からなんですよ。要するにキャラクターの絵を描くとか、背景をどうするかとか、設定をどうするかというのは、1年以上前の話になるので。それを今さらいじるとか、そんなことは絶対できません。
――宮崎駿さんが少し言いかけていましたが、震災の支援策としてどんなことを考えていらっしゃいますか?
鈴木 「震災に関してジブリがどうしていくのか」という問題に関しては、現状、実はさまざまなことをやっています。ある団体の協力も得ながらやっているのですが、これはみんなで相談をしたのですが、それをあえて発表するのか、発表しないのかという問題があるような気がするんです。
それでいろんな方が震災に関しての支援について、非常に具体的にいろいろお話をされているのですが、僕としては「あえてそれを言うということが何なのか」ということを社内でいろいろ話し合って公表はやめました。ただ、精神面でなくて、物理面でもいろんな支援をしようということで、現状やっています。
――だいたいどんな支援かということを教えていただけますか。
鈴木 それを言ってしまうと、喋っちゃうことになりますからね(笑)。まあ、いろいろありますよ。これは本当に申しわけないのですが、それを言うと、そのことが一人歩きしちゃうでしょ。僕はどこかでつらいんですよね。
だから、「お金だけではなくて、人の支援もしようかな」とかいろんなことを今考えていて、やっている最中です。僕はラジオをやっているのですが、ちょうど昨日、ピースウィンズ・ジャパンの大西健丞君にゲストで出てもらったんです。大西君は地震の翌々日には(宮城県の)気仙沼に現れた人なので、現状いろんなことを把握しているので、彼なんかの意見を聞きながらやれることをやろうという風にやっています
――スタッフの家族の方で被災された方がいらっしゃるという話もありましたが。
鈴木 今、スタジオジブリは美術館を含めて約300人のスタッフがいます。該当する地域の方にどういう人がいるか、家族がどうなっているか、をすぐ確認しました。確かに家の瓦が全部飛んでしまったといったことはあったのですが、今のところ大きな被害はありませんでした。
――例えば映画が完成した後に(被災地で)上映されたりといったことはお考えですか。
鈴木 「出来上がった映画を持っていくというのもあるのか」とか、そういうことは(配給会社の)東宝と検討中ですね。映画のキャンペーンということで、北は北海道から、南は沖縄まで日本全国をぐるぐる回ろうと思っていたのですが、ちょうど今、そのことについても相談をしている段階です。
――今、広告の自粛などがあって、プロモーションが非常に難しい状況にあると思うのですが、宣伝計画に変更はありますか?
鈴木 それはないです。主題歌は予告編などで出していくので、その発表だけはちゃんとやらないといけないと思っていました。
ただ、僕は映画の宣伝はあまり早くからいろいろやってもしょうがないと思っているんです。これは宣伝プロデューサーとも意見が分かれるところで、いろいろもめているのですが、僕は実は「映画公開の2週間くらい前でいいか」と思っているんです。だから、直接、そういう問題はありません。
ただ、僕はこの地震に関して、「夏になれば何とかなるんじゃないか」というのは甘い見通しだと思っているんです。どういうことかというと、これも僕は正確なところをつかんでいないのですが、日本では今、いろんな映画館でいろんな自粛をしていて、それから実際に被害にあった方もいらっしゃって、実際に映画を公開できないということがあります。ほとんどが今、シネコンなのですが、8スクリーン中3〜4スクリーンでしかやっていないとか、18時までで打ち切るとか、いろんなことが出てきています。僕は夏の計画停電がそのほかにも大きな影響を与えると思っています。これはまだ宣伝プロデューサーに話していなかったのですが、その中でどうするかは非常に大事な問題だと思っています。
――被災地の方にメッセージを。
鈴木 言葉というのは難しいですね、こういう時。そうですね、突然、ジブリのいろんなものが(被災地に)現れるかもしれないですが、僕らとしては陰日なたになって全部やれることはやろうと思っている。そういうことですかね。
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